ぼくの将棋歴⑩ 最終回
【大学4年秋 団体戦前夜のこと】
団体戦メンバーが発表され、ぼくはメンバー外となった。
告知の後、同学年の前主将が、ぼくのメンバー外について質問をしてくれたのが、唯一の救いだった。
その日の夜は眠れなかった。
やけくそでネット将棋を指したり、今まで指した棋譜を並べたりした。
4年生になって初めて部員になった、外様の自分がメンバー入りする壁の高さを思い知った。結果で実力を示すしかなかったのに、負けてばかりだった自分が情けなかった。
正直に言えば、こんな気持ちで明日応援に行ってもいいものかとも考えた。
メンバーを選ぶ本来の目的は、部内で勝つことではなく、対外試合でチームが勝つことだ。それなのに、自分の処遇に不満を覚える自分が、とても小さく思えてもしまった。
考えるほどに頭は冴え、夜は更けて次第に朝が近づいてきてしまった。
「今から寝て、起きれたら応援に行こう」
結局そう結論付けて、寝ることにした。
【団体戦初日の朝】
もともと、ぼくは朝に弱い。
寝坊したエピソードなど枚挙にいとまがなく、それゆえ今回も半ばあきらめていた。
しかし、この日だけは不思議と時間通りに目が覚めた。
起きてしまったからには応援に行くしかない。
目が覚めてしまった自分に、少しだけ腹が立った。
大会会場に行くと、状況は少し違ったものになっていた。
前日決めたメンバーのうちの1人が、急遽出場できなくなってしまったらしい。
そんなこんなで、ぼくは団体戦のメンバーに名を連ねることになったのだった。
【団体戦・そして引退】
イレギュラーな形ではあるが、将棋部に入るときの目標を達成することができた。
そして、幸運にも2局、団体戦での対局を経験することができた。
もちろん、採用したのは角交換四間飛車。研究した形をぶつけ、相手チームのエース格を苦しめることができたと思う。
結果はどちらも負けてしまったが、それもまた自分らしい…(貢献できずに申し訳ない気持ちはあったが…)。
団体戦メンバー争いから解放されると、不思議と調子が上向き、結果も伴うようになっていった。大学対抗リーグ戦終了後の王座戦出場校決定トーナメントでは、今度は実力でメンバー入りを勝ち取ることができた。
将棋部は4年生で引退になったが、大学院に進学した後も、古豪新鋭戦や学生選手権など、出場が許される大会では将棋部の後輩たちに交じって将棋を指させてもらった。
将棋を再開していなかったら、将棋部に入ろうと思っていなかったら、そしてあの日の朝寝坊していたら、今のぼくはいないだろう。
そして何より、どこの馬の骨かもわからない、しかも4年生の自分を快く受け入れてくれた将棋部の皆さんには、心から感謝している。
【あとがきに替えて】
長々と書いてしまったが、ここらへんでぼくの将棋歴の話は一区切りにしようと思う。
大学を卒業した後も、将棋との関わりは失っていない。
失恋の心の隙間を将棋で埋めてみたり、
将棋大会を求めて全国各地を巡ってみたり、
将棋部の同期や後輩たちと社団戦のチームをつくってみたり…
この辺のエピソードも、過去の話として振り返られる時が来たら、また筆を取ることにしようと思う。
最後に…
「将棋は人生だ!」
将棋部の同期が、時にイカれた目で叫んだ名言(迷言?)を思い出す。
改めて振り返ると、ぼくの人生の傍らには、常に将棋があった。
野良将棋少年だったころ。
将棋教室に通ったとき。
学校がつまらなかった中学生時代。
「勝負」と初めて真剣に向き合った、大学4年の熱い夏。
そして今も。
将棋だけが人生じゃない。
でも、ぼくの人生は、間違いなく将棋と共にあるのだ。
(おわり!)