ふりびしゃにっき

四間飛車を愛するアマチュア将棋ファンが、気が向いたときに書くブログです。

ぼくの将棋歴②

(ぼくの将棋歴①から続く)

 

【小学5年 大人に勝って優勝・将棋教室】

小学5年生になっても、ソフト・ひとり将棋・大会参加のサイクルは変わらなかった。

ただ、少しずつでも強くなって、2勝しかできなかったのが3勝になり4勝になるのがうれしかった。

初めて大人に混じった大会で優勝したのは5年生の秋ごろだったように思う。本割で5連勝して、優勝決定戦に臨んだ。その時もやっぱり四間飛車を指したように思う。難しい将棋で終盤まで負けだったようにも思うが、級位者にしては長い詰みを見つけて、勝つことができた。

その時初めて、「朝日少年少女スポーツ」という、朝日新聞が毎週土曜日に出している地域新聞の優勝インタビューを受けた。なんだかんだ中学卒業くらいまで、そういう機会を何度か得ることができた。祖父母の家に行くと切り抜きが貼ってあって、なんだか誇らしかったのを覚えている。

 

こども将棋教室の存在は、結構前から知っていた。大会会場でチラシをもらったこともあった気がする。大会会場にいた、あの「緑のおじさん」は、こども将棋教室の先生だった。ははーん、応援されていたあの子は、その教室の生徒さんだな。

5年生の夏休みに、その教室に体験入会の申し込みをした。母親が電話で申し込んでくれたのだが、あいにく同じ希望をしたこどもが多かったらしく、その時は定員オーバーと断られてしまった。

 

緑のおじさんが声を掛けてきたのは、ちょうど大会でEクラス優勝をした時だったように思う。「あの時は断ってしまったけど、君だとは思わなかった。今度体験においで。」みたいなことを言われたように思う。

少なくとも、手合い係の緑のおじさんはぼくのことを認知していたのだ。

急に身近になったこども将棋教室。見渡してみると、大会会場にはこども将棋教室の生徒がたくさんいるようだった。中にはCクラスやBクラスで戦っている子もいる。入会許可ももらったし、親もいいよと言ってくれた。でも果たしてこの中でやっていけるだろうか?ちょっと不安だった。

 

勇気を出すために、ぼくはぼく自身に、1つの条件を出した。

「Eクラスでは優勝できた。次の大会でDクラスに出て、勝ち越したら教室に入れてもらおう。」

Eクラスに初めて出たときは2勝3敗だったから、それより少しハードルを設定した。

いつもより友達と遊ぶ時間を減らして、たくさん将棋の勉強をした。結果は3勝2敗。初戦に負けたから手ごわい相手を避けた裏街道だったけど、まぁいいだろう。上出来だ。ぼくはぼくを許した。

 

こうして「緑のおじさん」は、ぼくの先生になった。

 

 

【小学5年生冬 こども将棋教室】

先生になった緑のおじさんは、入会するときに「独学でここまで強くなるのはすごい。こども将棋教室でもすでに真ん中より上の実力があるぞ。」と言ってくれた。

教室の決まり事で、新入会員は実力にかかわらず12級からスタートすることになっていた。でも、ぼくは特別に10級からスタートしていいと言われた。なんだか「野良将棋少年」だったころのぼくを認めてもらったみたいで、とても嬉しかった。

 

「10級からスタートだけど、5級くらいの実力はあるから、すぐにそこまで行けよ。」と先生から言われていた。「お遊び気分が強いのが、すこし気になる。お遊び気分だと5級の前に止まるぞ。」とも。

そんな通い始めの頃の教室で、強烈な記憶として残っていたことが2つある。

 

ある日の最後の対局相手は、8級くらいの男の子だった。ぼくは当然のように優位を築き、やがて勝勢になった。異変が起こったのは、5手詰めくらいの局面になった時だ。

教室ではいつも、16時くらいに「時間切れ」がくる。その時間になると、今ある対局の優劣にかかわらず、勝負は引き分けになる。そういうルールだった。

そこまでピシピシと駒を運んでいた男の子の手が止まった。15時30分くらいだったように思う。5分経っても10分経っても指さない。ぼくは早く指せよと思った。

男の子は意を決して駒を運ぶ。ぼくはすぐに王手を返す。あと2手で相手の王様は詰む。もう、だれの目に見ても明らかな状態だ。教室に通うものならば誰でも、勝負の行方は見えている。

男の子の手がまた止まる。チラリと時計を見る。うつむく。よそ見する。盤面と向き合う様子はない。

明らかな「時間切れ」狙いだった。ぼくは絶望した。なんて無意味な時間だ!と思った。しばらくして16時になり、男の子は鉛筆を持つと、対局カードに引き分けを意味する「△」印を書いた。ぼくはありったけの声で抗議の声を挙げたように思う。でも、結果は覆らなかった(さすがにその後、男の子は先生に叱られていたらしい)。

 

別の日のこと。序盤で「▲22角成」と指そうとして、88の角をつかんだつもりだった。ところが斜め下の銀をつかんでしまい、「▲22銀成」と指してしまった。

罪の意識はなかった。ぼくは「ごめんごめん!」といって指しなおそうとした。でも、結果として、先生の裁定で「反則負け」になってしまった。

先生はその後、「野良将棋指しならば指しなおしでいいけど、ここは教室だぞ。将棋のルールは守りなさい。」と言った。「実力に見合った級に行くには、そこを直さないとだめだぞ。」とも。ぼくは時間切れの男の子の姿を思い出していた。

将棋の実力はさておき、どちらが勝負に真剣なのか。答えは火を見るより明らかだった。

 

(つづく)